2022-04-21 ライフ

半世紀近く「生態系の大惨事」を撮らなかった?ー「荒野」の創立者徐仁修氏を独占インタビュー

© 荒野保護協會

注目ポイント

「建設業者が開発を計画するとき、生態系保全のための部隊を設立した。ショベルカーが土を掘り出す際に、子供を連れて自然探検に行く。私たちが便利を楽しむ時、彼はカメラを背負って荒野を記録する。何年もの間、徐氏の足取りは止まらなかったが、生態系崩壊の速度にどうしても追いつけなかった」。

徐氏は72歳で、荒野保護協会の創立理事長であり、生態系(自然)写真家でもある。彼は30~40冊の本を出版した作家だが、多くの人は忘れてしまった。彼が中國台湾両岸、東南アジアを走る「教育者」でもあり、さらに「思想家」であることを…。

 

なぜそんなことを言うのか?

1974年、28歳の徐氏は「中央日報」の副刊誌に「失われた地平線」という文章を発表し、自分が目撃した森での乱伐や、台湾での生態系保護の呼びかけを率先して行った。その時の徐氏は、台湾省政府の農林庁の研究員だった。

30歳の時、仕事でニカラグアに派遣された1年後、彼は今までしていた安定している「堅実」な仕事を捨て、単焦点カメラを担ぎ、マレーシア、フィリピン、インドネシアまで飛び、ゴールデントライアングル、ボルネオなどの雨林にも行ったことがある。もちろん、台湾の隅々も欠かさずに回った。その先40年間以上、彼は「生態系の大惨事」の作品は一切撮らなかった。

たくさんの人が徐氏になぜ「汚された画」を撮らないのかと聞くが、彼はいつも笑いながら「それは私が撮る必要はない。外に出れば見えるから」と答えた。しかし、本当の原因は、彼が1999年に出版した「猿吼季風林」という本から発見できるかもしれない。

 

「汚染を生み出し、大地を破壊する大企業に抵抗した。その結果、ギリシャ神話の九頭の妖竜に出会ったようで、竜頭を一つ切り落とすと、二つ生えてくるように、絶え間ない大きな“環境保護不良”の笠から脱出できない」

そして徐氏がやりたいことは、美を残すことだ。

「私がこれらを撮るのは、島にどれほどのあなたが知らない美しい景観があり、自然を鑑賞することで、これらの動植物を大切にしてほしいということを伝えたいからです。山登りは頂上を攻め、何を征服するかではなく、過程が最も重要です。玉山に登っても、玉山に咲いているツツジを見たことがありますか? 100の山を登るより、一つのことをよく知ったほうがいい」

 

© 徐仁修《台灣最後的荒野》

「こんなに多くの美しいものが私たちと同じ場所で育ったのですね。彼らは本当の“原住民”です。私たちより長く住んでいますが、もうすぐ消えるかもしれません」

© 徐仁修《台灣最後的荒野》

1995年、徐氏は「荒野保護協会」(以下「荒野」と略称)を設立し、これは台湾初の環境保護団体であり、購入、長期賃貸、委託または寄付を通じて、荒れ地の保護と管理権を取得し、できるだけ自然を回復させる。現在の「荒野」は台湾全土に11の支部と1つの準備所があり、マレーシアの「荒野」、中国の緑のコミュニティの組織も徐氏の姿が欠かせない。

徐氏はインタビューで、馬英九が初めて大統領に当選した2008年も「荒野」で大統領に会ったことがあると話した。「私が理事長になった時、彼はまだ台北市長で、以前は少し交流があった...しかし、お坊ちゃん(馬氏)はあまり関心がなく、だいたいは適当に訪問してくるくらい…その後の国光石化で私たちはまた大統領府に行き、抗議してきた。老犬に新しい芸を教えるのが難しいなら、子犬に教えろ!と」

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