注目ポイント
ウクライナの戦火が止まない中、中国の芸能界を揺るがすできごとがあった。それはイケメンのシンガーソングライター、ツェワン・ノルブ氏(才旺羅布Tsewang Norbu、1996-2022)の焼身自殺だ。
「郷愁」まで感じたというのは、おそらくその“そり舌音”や音節末鼻音が、中国大陸の北京語「普通話」よりも、「台湾腔(チャン)」、つまり台湾「国語」に近い発音が目立つためだろう。こういう発音は元々中国の標準ではないとされてきたが、2000年代に台湾と中国の交流が盛んになり、台湾のテレビ番組や芸能人が中国に進出したことにより、一般の人にもなじみがあった。
そして彼の歌声にはもう一つの特徴がある。それはチベット族独特の特殊な共鳴法による民族的な歌唱法だ。シンガーソングライターとしてのノルブ氏のネット上の動画では、北京語と英語のR&Bだけではなく、チベット語で自作の民謡風の曲を歌う動画も確認できる。彼が創作したチベット語の歌も中国語の歌も、「故郷」「高原」がキーワードとなっており、チベット人としてのプライドが込められている。

Photo Credit: AP / 達志影像
ただここで疑問に思ったことは、ノルブ氏の残した映像の中には、愛国心をアピールする歌がほとんどないことである。それだけではなく、前述のように、標準語といわれる「普通話」ではほとんど歌わない。彼のように絶大な人気を持つタレントは、国慶節や旧暦新年のような重要な日には、「我は祖国を愛す」などの歌でアピールしないと、ネット民の攻撃の的となり、レコード会社にも迷惑をかけることになる。ノルブ氏の母親、ソナム・ワンモ氏(索朗旺姆Sonam Wangmo、1977-)も国家に認められたチベット歌謡の大家であり、国に奉仕すべきであることについては十分に理解していたはずである。
すると、彼が残したウェイボーアカウントに、彼の心情を推し量る二つのメッセージが残されていた。一つは彼が命を絶つ前の2月22日にデジタルリリースした中国語新曲「如果有遺憾也別偷偷放不下(悔いがあっても一人で執着しないでほしい)」である。その二日後の24日、つまり自死の前日には同曲のミュージックビデオもリリースされていた。彼はファンたちには「ちゃんと歌詞を読んでね」と呼びかけていたが、おそらく、ポタラ宮の前で彼がとった行動には、中国共産党政権に対するアンチテーゼ、仏教の極楽浄土への希求、それらすべてを背負い、もうこの世に「悔いがない」「執着しない」ということが込められていたのだろう。
もう一つは、去年(2021)年の10月1日にアップロードされた中国の国慶節を祝う、「為祖国比心(祖国にハートを)」という短い動画である。この類の動画は、大体みんな(好きでも嫌いでも)努めて明るい声と笑顔で撮影するが、ノルブ氏の動画は彼の他の動画や写真とは異なり、まったく表情のない作り笑いであった。言いたいことが伝えられない。撮りたくないことをやらされても断れない。この時の彼の苦悩はいかばかりであったことか。台湾人であればなおさら深く理解できるはずである。なぜなら、三、四十年前までは、台湾でも毎年、国慶節、蒋介石誕辰記念日、台湾光復記念日といった重要な祝日が連続する「輝く10月」には、どの歌手にも「愛国」プロパガンダの曲を歌うことが強制されていたからだ。このような類似した歴史的な経緯があって、台湾の社会運動のイベントでは、必ずチベット亡命政府の旗「雪山獅子旗」が掲げられ、常に台湾の社会運動参加者とチベット人との連帯を表している。