2011年3月11日、東北太平洋沖で史上稀なマグニチュード9の強い地震が東日本を襲った。震央は宮城県以東太平洋沖に位置する。地震による巨大な津波は東北部の岩手県、宮城県、福島県などに壊滅的な被害をもたらし、福島第一原発の原発事故を引き起こした。

10年目を迎えた今、福島はどうなっているのだろうか。福島に訪れたことのない私は、2021年に「福島前進団」というプロジェクトに応募した。これは、在日台湾人が実際に福島を訪れ、福島のリアルな現状を台湾の人に伝える、という企画だ。
このプロジェクトは、3.11東日本大震災に被災した12市町村の中から7つの町を選び訪問する。その中で、私が担当していたのは大熊町だ。津波で被害を受けた福島原子力発電所は双葉郡の大熊町と双葉町の境にあるため、大熊町も原発の被災地のひとつだった。
震災前、大熊町の人口は1万8000人であったが、現在は300人程。戻ってきている住民は約200人余りで、ほか100人は福島県以外の都道府県から移住してきた。地元の住民に聞いたところ、現在大熊町の6割は帰難地区で、返還困難区に居住者がいても年配者しかいないとのこと。
大熊町は観光できるところは少なかったが、そのおかげで、私は住民たちの話をたくさん聞くことができた。その中でも印象的だったのが、あるおじいさんと大熊町商工会会長の話だ。
私が「大熊町に来たばかりですが、ここの誰もが楽観的で、この10年間、あなたたちの気持ちはどのように変わったのか、どのように見ているのかを知りたいと思っています」と尋ねた。おじいさんは、「悲しくないと言うとウソになりますが、あなたが私くらいの年になったら理解できると思うよ。過去のことは気にしてもしょうがない。私たちができることは、当時の状況を心に刻み、記憶し一人でも多くの人に伝えていくことです」と答えてくれた。
大熊町商工会会長からは感動的な言葉をいただいた。「やりたいことはやりなさい。将来同じような災難に遭わないとは誰も言えない。」「私は住民たちに戻って来てもらいたい。そして夢を叶える土台作りをしていきたい。その土台の上で、子供、孫、ひ孫、その子たちが自分の夢をもう一つ実現できるように、私は頑張りたい。」彼女も当時の被災者の一人で、何年も避難し、大熊町のために何かをしたいと考え、またこの場所に帰ってきた。
住民たちが町のために頑張っているのをみて、自分も何かしたいと思った。微々たることかもしれないが、福島の正しい情報を発信することが、私たちが今この土地のためにできることなのだ、とわたしは考える。