2006年8月、大相撲台湾巡業が行われ、朝青龍、琴欧州をはじめ、40人以上の力士が台湾にやってきた。次から次へと続く数々の歓迎会ののち、三次会、四次会で力士や相撲協会関係者がこの街に大勢繰り出した。大男たちが夜、林森北路の狭い道を闊歩する姿に現地の人たちはすごくびっくりした。筆者はたまたまお相撲さんたち3人と一緒にお酒を飲む機会を得た。台湾のママさんやホステスさんにとってちょんまげや浴衣姿は非常に珍しく、クラブに入るとみんな黄色い歓声を上げて大騒ぎ。ママさんが気を利かせて、野次馬やパパラッチ対策として店を貸し切り状態にしてくれた。5軒目の店(五次会)では関取二人と呼び出しさんの計三人だけで、ウィスキーのボトルを5本空けた。
「華燈初上」でも描かれているやくざや泥酔客、酒乱、本気で恋をする客とホステスなどのトラブルはどこでもよくある話だが、当時の林森北路はとにかく女性が元気いっぱいだった。店がひけた後、客と食事に行くのは当たり前、ディスコやホストクラブで朝8時まで踊り明かしたり、オカマバーで飲み直したりする女性もいたりして、エネルギーで満ち溢れた街だった。ホストクラブとオカマバーは筆者の最初で最後の強烈な体験となった。
2009年のリーマンショック以降、台湾も不況の波に襲われた。客足が少しずつ鈍り始め、店のオーナーの交代や閉鎖も増えた。以前よく通った店が違う名前になっていたり、なくなっていたりして、悲しかった。馴染みのママさんやホステスさんも店の異動が頻繁になって、数か月すると結局どこで働いているかわからなくなったり、水商売から足を洗っていたりした。それでもみんな笑顔で頑張っていた。
とどめをさしたのは、新型コロナの感染防止政策である。入国制限、接客を伴う飲食業の営業停止命令、会社員の在宅勤務など、林森北路にとってかつてないほどの逆風が吹き荒れた。すべての路地のネオンが消え、人通りが途絶え、多くの女性が失業した。その後、規制がある程度緩和され、営業を再開するクラブは増えたが、日本人出張客や駐在員はほとんど戻らず、代わりに台湾人客でにぎわうようになった。値段の高い高級クラブのいくつかは今でも営業再開できないでいる。
今年は寅年。虎が夜空に向かって大きな咆哮で疫病を退散してくれる年にしたい。この世界的コロナ禍が収束して、目が眩むようなネオンの灯りが再びともる日が一日も早く来ること、つまり、林森北路の”華燈初上”を待ち望んでいる人は多いはずだ。