僕が、台湾に通いだしたとき、それまでは、いわゆるカルチャースポットがある街ばかりに通っていて、歓楽街はまったく興味の対象にはなかった。それに僕はお酒が飲めなかった。なおさら行く必要がない。行っても退屈するだけだ。仕方がないと言えば仕方がない。でも何度目かの訪台のとき、一緒に訪台したミュージシャンの友人たちと、ナイトパトロールと称して、初めてこの街に足を踏み入れた。僕たちは、そういう店にこそ行かなかったものの、宵っ張りの街を歩きながら、その雰囲気をたっぷり謳歌した。そして、やっぱり日本人が多い。どこから湧いてくるのか。それくらい日本人だらけだった。看板も日本語であふれている。バンコクのタニヤ(バンコクの日本人街)よりも何倍も規模が大きい。僕は、なんとなく、その街が気に入って、帰ってからも余韻を楽しんでいた。そして、この街で、印象的な日本人と出会ったのだった。
それは、ふたたびの台湾。仕事が一段落して、夜になり、僕は、林森北路にいた。僕はあるレコード会社の仕事で、台北に初音ミク(ボーカロイド)のライブに取材に来ていて、音楽プロデューサーに連れられてまたこの街に来たのだ。日本人向けの街だけに、歩いているとひっきりなしに日本語で声をかけられる。客引きである。ほとんどが、台湾人のおばちゃんであった。
「おねえちゃん、いらない?一晩4000元」
「お兄ちゃん、安いよ!キャバクラ、どう?」
僕らは、おばちゃんを振り払い、歩いていく。どこに向かうでもない。目的地などないのだ。ただ好奇心だけで歩いているだけ。その先に何が待ち受けているのか。それは、僕らにもわからない。僕らは、ただひたすら歩き続けた。そのときだった。
「ジャーン!」
こんな掛け声とともに突如脇道から、身長は160センチ前半くらい、時代遅れのダブルの背広を着て、細身で角刈りの男が僕の目の前にジャンプしながら現れた。なんなんだいったい。(続く)
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