第三稿:台湾にあって、日本にないもの
台湾の若者はおしなべて政治意識が高い。これは、僕が台湾に長年通ったなかで特に感じたことのひとつだ。カルチャーの話、例えば、インディ音楽や、映画の話をしていたとしても何故か最後には政治の話になっていることが多い(このあたりのことは、僕の新刊『台湾対抗文化紀行』(晶文社)に詳しく書いたのでよかったら読んでほしい)。
日本の若者と比べても、選挙の投票率が全然違う。日本では、若者が日常で、政治の話を話題にすることはまずないと言っていいだろう。台湾では、選挙のために、全世界から若者が投票のために帰国する姿が報道されて話題になったが、日本ではそんなことはまず起こらない。
僕も台湾人の友人に一度ガツンと言われたことがある。
「日本人は、今は無関係な政策がいつか自分に影響を与えるということがわかっていない。痛い目にあって初めてわかる」と。
最近は、痛い目にあっても分からないのではないかと思える日本人だが、要は当事者意識がまったくないのだ。それは想像力の欠如と同義だと思う。ではなぜ台湾人は何に対しても当事者意識を持つことができるのだろうか。さきほどの台湾人の友人はこう答えた。
「私たちは、危機意識が強いから。いつ国がなくなるかもしれないという気持ちで生きている」
台湾の人々は、常に抑圧と戦いながら生きている。その上での寛容さ、自由さということなら、僕たち、日本人も少しは理解できるだろう。
最近、台湾有事に関して、タイと香港と台湾の若者が連帯して中国に対して警戒する動きを強め、意思表示を始めている。それは、互いの国の好きな飲みものにちなんで、ミルクティ同盟と言われている。同じ自由主義陣営として、ここに日本の若者の姿はない。
技術やテクノロジーで遅れをとるのはいい。それは年月をかければ、また取り戻せることだから。しかし、知性や思想の劣化は、一長一短では取り戻せない。そうだとしたら、日本の政治や政治家の責任は重い。
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