2021-12-29 ライフ

ヤングケアラーをケアするのは誰? ——日台ヤングケアラーの現状—— 後編

台湾の人々は歴史的な脈絡の中で、助け合いという生存戦略を取ってきており、災害に際しては、時として政府よりも民間の方が素早く対応できた。その結果、困っている子どもと家庭に対しても、金銭や物資による援助は時代の変遷と共に形を変えながら長年行われてきた。

 

核家族化や都市化の進行によって、少人数でこなさなければならない家族の重荷は、民間と地域のバックアップによって、少しは軽減できたように見える。その一方、台湾では移民社会であるがゆえに、時に過度に血縁にこだわってしまい、「家」に過剰な意味づけをするきらいがある。伝統的な墓石では故人の名の隣には、必ず祖先が渡ってきた故郷の地名が刻まれていた。自分のルーツを忘れるなという意味が込められているが、同時に、死してなお「家=地域=コミュニティ」に縛られているようにも見える。

 

実際、18世紀から19世紀にかけては「械鬥」といって、多くの移民コミュニティ(同じ家族の出生か同じ出身地で集まった者同士)の紛争が記録された。彼らは同じコミュニティに属する者として緊密な絆に繋がれて助け合う代わりに、いざという時はコミュニティのためなら死をもいとわないという覚悟と忠誠心を求められていたのである。

 

今日では「忠義」を声高にアピールする者はいなくなったが、代わりに「孝」の重要性を説く場面はよく見られる。例えば、母の日や父の日などで「足洗い」のセレモニーと共に台湾各地で開催される「孝親獎」(親孝行大賞)の表彰式。その名の通り、親への敬愛を表すために公衆の前で、ひざまづいて親の足を洗う儀式である。

 

最初は宜蘭の市民団体が始めた活動であったが、近年では品格教育の一環として、小中学校などの学校が主体となって朝礼の時に行うこともある。親への愛情と敬意を喚起させ、大人に感謝するように推奨するのが目的である。また、「親孝行をよくする生徒」は、全校生徒の前で名前やクラスと家庭の事情を詳しく紹介されることもあり、場合によっては学校のオフィシャルサイトに半永久的に記事として残されることもある。主催者側は素晴らしい親孝行のモデルを賞賛しているつもりだが、当の子どもがプライベートな情報や事情を公表されたいのかは、誰も知らない。

 

「ヤングケアラー」という言葉がイギリスで使われる前、人々はこのような子どもたちのことを「リトルエンジェル」と呼んで美談にしていた。実際、家族の世話をすることによって責任感や忍耐力を身につけた、成長できたという当事者も多くいる。その一方、これらの能力は他人のためにしか発動せず、場合によっては子どもの過度な負担となって自己犠牲に繋がりやすいため、大人と周りのコミュニティや行政による気づきと長期的な支援が必要なのである。ヤングケアラーやその家族が悪いのではなく、大事なのは、子どもたちの声を受け止めて、必要な支援が届くようにすることである。

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